平均寿命よりはるかに短く終えた命
モラハラ夫は、猫・犬(コーギー,ボーダーコリー)を実家で飼っていました。
ボーダーコリーは、私と付き合う前にすい臓がんで亡くなってしまったそうです。
ボーダーコリーが亡くなってしまってからなのか、飼っているときからかは不明ですが
コーギーはほとんど適切な飼育をされずに平均寿命よりはるかに短く命を落としました。
お世話は餌やりとトイレだしの散歩だけ。
実家の空部屋1室に、常に6畳の部屋で独りぼっちで過ごしたそうです。
お客さんがきてもほとんど吠えたり泣いたりしませんでした。
そのように強くしつけされたからです。
ある日、そのわんちゃんが亡くなってしまったようで当時、まだ結婚も同棲もしていない私にわんちゃんの火葬に行ってほしいと頼んできました。
「俺は仕事を休めない」といって、私が行くことになりました。
ペットが死んでしまったことの辛さを感じてはいるんでしょうが、
一緒に過ごしたペットが亡くなってしまったというのに人任せで、無責任だなと感じました。
モラハラ夫の亡きわんちゃんを私一人で火葬場へ連れていく
火葬に連れて行くときに段ボールにペットシーツが敷かれたうえに横たわるコーギーを私は初めて見たのに涙が止まりませんでした。
飼っていたことはわかってたし、お世話しているかどうかを聞いたことはあるけど、私がもっと積極的に
”コーギーちゃんに会いたい” ”抱っこしたい”
と言えば、私の愛情を注ぐことが出来たのではないかと思うといたたまれない気持ちになり、辛くて涙がとまりませんでした。
私はその日の夜、布団で横になっている本人に言いました。
「大事なペットだったんじゃないの?どうして自分でお別れしないの?」
そしたら彼は
「わかってる。俺が弱いからなんだ。だからもう聞かないでくれ」
と、体が硬直して動けなってしまったようで、私はそれ以上聞けませんでした。
10年以上経った今も、コーギーのことをどう思っていたのかわかりません。
猫ちゃんのトイレ掃除
時は経過し、モラハラ夫と結婚後に、夫の猫ちゃんも一緒に住むことになりました。
(モラハラ夫が実家暮らしのときに自分の部屋で飼っていた猫ちゃん)
猫ちゃんは、やはり猫なだけあってあまり私にくっついてくれることもありませんでした。
トイレの片付けや餌やりなど、夫がやっておりましたが片付けが雑で、何度言っても
「また今度ちゃんと掃除するから」
といって、いつまでたってもきれいに掃除することはありませんでした。
そのため、私が掃除に手を出し始めると、ますます掃除をやらなくなっていきました。
猫ちゃんの水皿に水が入っていなくて、猫ちゃんが窓ガラスの結露をなめていた時も
「なめるな!」
と言って、足蹴りをしてなめさせないようにしていましたが、そもそもそこをしつけるのではなく水を入れればいいのにと思っていました。
モラハラ夫に言っても「あとでやる」「めんどくさい」と言われるのはわかっていたので言い返すことはせず水皿に水を入れてあげるのは私でした。
猫ちゃんの病気
そして、猫ちゃんに病気のような症状が出てきたので、私はモラハラ夫に聞きました。
「今こんな感じだけど、大丈夫なの?病気だよね」
モラハラ夫は
「もう年だし、手術してもお金かかるだけだからしょうがないよ。寿命だと思えば。手術して死んじゃったら元も子もないし。」
といって、病院に連れていかないことを選択しました。
私は、確かに手術して助かる可能性も低いかもしれないけど、何もせずに亡くなってしまう方が後悔にならないのかなと思いつつ、何も言えず…様子を見ることにしました。
少しずつ、具合が悪くなる猫ちゃんを見るのはとてもつらかったですが、私のお世話が猫ちゃんの心に届いていたのか、私のひざの上に乗ってきてくれました。
きっと「ありがとう」と言いに来てくれたのでしょう。
私の手をなめてくれました。
とても嬉しくて、よしよしと撫でてあげるとまた自分の落ち着く場所へと行ってしまいました。
その数日後、猫ちゃんは玄関のそばで息を引き取りました…。
そして今回の火葬も私任せで
「俺は仕事だから休めない。納骨したいから、お骨回収できるところで火葬してほしい」
と言われました。
このとき、私は結婚していたのもあって
”夫は忙しいから、私が手配して行うのはしょうがない”
”私もこの子のお世話をしたから、きちんと私が見送ってあげないと”
という気持ちになり、夫を責めることなく、今回も私だけで火葬に行きました。
後に私は
「この人はペットを飼ってはいけない人」
とようやく気付くのです。